古森古 ※「暗闇と幸せの淵底に包む」の続き。逆転の古森です。時間軸は「憂鬱」
一夜にして世界は二分され、神が選び取った世界は少年1人のみを残して完全に閉鎖された。
外界にはじき出されたもう1人の少年は山道にバランスを崩すことなく着地し、自身を追い出した境界の壁に確かめるように触れてから、背を向けて引き返して行った。
星の少ない闇夜のことだった。
古泉一樹にとってはどちらの場所も大差無く、意外なことにその表情からは安堵の念すら感じさせた。
事実、先ほど彼は選ばれし少年に向かって、もう神人狩りを行わずに済むことでほっとする気持ちであると伝えていた。
古泉は落ち着きのある歩みで、路肩に待機していた黒塗りタクシーに乗り込んだ。
「行先は通常通りでよろしいですか」
「はい。よろしくお願いします」
普段と変わらない必要最低限の言葉を交わして運転手は車を発進させる。
同じく口を閉ざした古泉は後部座席から窓の外をぼんやりと眺める。山道を下り駅前を通過すると公道に出て視界が開けていった。すっかり遠ざかった校舎に通学した期間は半月に満たなかったが、古泉がこれまで過ごした中で最も濃厚で劇的な時間だった。はっきり自覚しているわけでは無いが、振り返る自身の人生の中で強烈に刻み込まれていることを感じていた。
そして古泉にとってそれ以上に忘れてはならない3年間が存在した。現在向かっている場所は3年前に出会った<あの人>が居るマンションである。任務後の沈黙の車内、古泉が浮かべる表情はいつものそれとは異なっていた。<あの人>に会えると心躍り浮かべる子供のはしゃぎ顔はどこにも見当たらず、かわりに窺えるのは無表情に少しの覚悟の色を混ぜたものだった。
そんな彼の様子に対して運転手は、バックミラー越しに静かな視線を注いでいた。
「到着致しました」
運転手は停車し慣れたその場所でレバー操作を行い、後部ドアを開く。
「3年間、ありがとうございました。大変お世話になりました」
丁寧に礼を告げた古泉を運転手はゆっくりと振り返って、目を合わせた。そのまま慇懃な態度で「失礼ながら」と口を開く。
「ご両人共、憐れと思ったことは御座いません」
「……ありがとう」
バックミラーを介さず言葉を交わしたことは久し振りだった。
厳しい眼差しを受け止めた古泉は、二度と乗ることが無いだろう黒塗りタクシーの姿が見えなくなるまで見送る。古泉は同情されないことの有難味を初めて知ったのだった。街灯に照らされて、目を細め薄く微笑む表情が浮かび上がった。
古泉はゆったりとした足取りでマンションの階段を上がっていく。手すりが錆びていることが気になり、3年前はこうだったろうかと古い記憶をたぐりよせる。目指す一室に辿り着くまでに通過する部屋の明かりは全て消えており、住人がすっかり寝静まっていることを知らせていた。
「おつかれさま」
ドアノブを回すといつもの微笑みで佇む<あの人>ー森園生の姿があった。古泉は扉を閉めてから無言で近づいて靴のままフロアに上がり、森を抱き寄せた。
「古泉っ…?」
ぎゅうっと強く抱き締められた森の身体は傾いて爪先立ちになった。
「動揺してるのね?大丈夫よ、わたしがついてるわ」
古泉の動作が普段と異なるのは、彼が世界の終端を感知する力を持っているからだろう。超能力を持たない森には実感が無かったが、古泉の気持ちを汲み取ろうと身を任せていた。森は背中に腕を回してよしよしとなだめようとして、その身体の大きさに驚いた。どこか大人びて見えるのは、まだ見慣れぬ制服のブレザーのせいだと心を落ち着かせていた。
「僕はいつになく冷静なつもりです」
「えっ?」
低いトーンの静かな声音に、森の方が困惑の声を上げてしまう。
「ここは暗いです」
それだけ言って古泉は森の手をとって室内から引っぱり出した。早歩きで廊下を突き進む古泉に森は何か言いたげだったが、言葉にならずに口をつぐむ。森は腕を引っ張られたまま、下り階段を滑らないようにとストッキングの足を慎重に動かしていた。
マンションの敷地を越えて歩道に出る。古泉はちょうど先程タクシーが停車していた辺りで歩みを止めた。街灯の下で互いの顔がはっきりと窺える。
「…古泉?此処に何かあるの?」
きょろきょろと周囲を見渡す森に対して古泉は、真っ直ぐに彼女の顔を見つめていた。ようやく握っていた手を解放して口を開く。
「僕はあなたとの関係を壊したくなかった」
小さく、けれどしっかりとした口調で語りだす。
「でもそれは間違っていました。何故なら…僕らは、初めから壊れていたからです」
「何を言っているの…?」
森は口元に微笑を形作るも、瞳は不安に揺れていた。続く言葉に耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、自分達が逃げ続けていたものに古泉が向き合おうとしていることを感じ取り、己の拳を握って耐えた。
「森さんの3年間を、」
古泉は眉を寄せて顔を苦渋の形に歪める。
「最後の3年間を僕は無茶苦茶にしてしまいました」
すぐに反論しかけた森だったが、「言わせて下さい」と制される。
「ずっと依存し続けられる訳が無いことは分かっていました」
「あなたは僕を変えようとしてくれたはずです。なのに僕は、変わらないことであなたの傍に居ようとした」
「あなたに包まれる時間が幸せすぎて、この時が永遠に続けばいいと願うようになってしまったのです。…明日が保障された世界では無いと、僕が1番分かっていたはずなのに」
「ごめんなさい…謝ってもどうにもならないけれどっ…ごめんなさい……」
古泉は幾度も幾度も謝罪の言葉を繰り返した。
「わたしだってあなたと同じです。古泉と一緒に居たかったの」
凛とした声が古泉の懺悔を遮った。
「弱っていたあなたの心につけ込んであの暗い部屋に引き込んでしまった。同情なんて勝手な自己満足でしかないことに気づかずに」
「あなたの為なんかじゃない、あなたにとって良いことをわたしは1つもして来なかった」
「あなたを形成する大切な時間を奪ったのです。悪いのはわたし1人。あなたが謝る理由は何もないわ」
「ずっとあなたの理解者のフリをしていたくせに、何も分かって無かったのね。わたしって」
現在では、瞳に映る灯火が森の強い意志と覚悟を感じさせていた。
「あなたは強くなりましたね」
口元を綻ばせて続けた。
「わたしは3年かけてもあなたを救えなかったけれど。神様と“鍵”の少年達と共に過ごしてあなたは変わったのね…半月という僅かな時間で」
森はつい先日の出来事を思い出して目を伏せる。
「“鍵”の彼を閉鎖空間へ導いた日もそう。疲れているから眠るとあなたは言って、わたしに触れてきませんでした。環境の変化で疲労が溜まったのだと、わたしは単純な解釈をしていたけど…」
森の視線は古泉の頭を通り過ぎて街灯の明かりを捉える。
「あなたと、あなたを強くしてくれた人たちが、この先同じ世界で過ごせないことが残念でなりません。それでもあなたが最後の最後で強く変われたことが嬉しい。…わたしにとっての救いでもあります」
森は心の底から祝福していたが、瞳の中の灯火は滲んで揺れ動いていた。
「今まで、ごめんなさい」と1度だけ呟き、薄着の身体を寒そうに震わせた。
「…森さん。僕が変わった…と仰って下さいましたが、具体的にいつ、一体何がきっかけで変われたのだと思いますか?」
「半月前に、神様と、ええと、SOS団の方たちと出会ったことでしょう?」
向かい合う2人に少しの沈黙が下りる。古泉は上手く自身の気持ちを伝えられるかと、不安げに言葉を選ぶ。
「…不正解です。僕が変われたーというより、己の想いを自覚して、振る舞いを改めたいと思ったのはつい先程。世界の終焉を知った瞬間のことです」
森は意図を計りかねて小首を傾げる。
「その時僕は少し安心してしまったのです。これは何故だか分かりますか?」
「神人狩りのために閉鎖空間に侵入せずにすむからでしょう?」
「半分正解、といったところです」
一呼吸置いてから古泉は続ける。
「明日以降、神人狩りのたびに僕があなたを穢すことは無いからですよ」
森は目を見開いて古泉の顔を仰いだ。
「そんな風に思ったのは初めてのことです。自分でも驚きましたよ。世界の危機に瀕してやっと気づくことができた、自分の鈍さにね」
古泉の言い回しは自嘲めいていたが、声色はどこか誇らしげに感じられた。
「SOS団で過ごした半月の時は、世界の不安定さを意識させてくれました。けれど僕を変えてくれたのは確かにあなたなんです。そもそも森さんとの3年間が無ければこの半月と今の瞬間は存在し得なかった。僕は自分の手で自分の世界を終わらせていたはずですから」
森が出会った頃の陰鬱な表情とも、幾度かの逢瀬の後に見せるようになった太陽の笑顔とも異なる表情を浮かべて言う。
「僕はー誠に勝手ながら、最後のこの瞬間にあなたと会えてよかったと感じています。あなたの未来を見たくないと言えば嘘になりますが…。僕にその権利はありませんから」
街灯に照らされた古泉の輪郭は、影と光が共存して複雑な線を描いていた。
静かに古泉の言葉に耳を傾けていた森は噛みしめるように俯いてから、胸に手を当てた。
「「苦しい」」
2人の呟きが重なった。
それは古泉の想いが齟齬無く森に伝わり、受け止めた森の気持ちも古泉が察することが出来た証しだった。
ずっと直立で対面していた2人だったが、夜風に煽られてバランスを崩した森の肩を古泉が支えて距離が縮まる。
「ありが…」
顔を上げた森の視界が塞がれて、半分開いた唇を避けたぎりぎりの位置に柔らかな感触を感じた。
森の開かれた瞳には揺れて溶けそうな灯りが光って、大きな瞬きと同時に透明な一粒の輝きをこぼした。
古泉は森の両肩に手を置いて身体を離した。
「わたしがあなたにキスをしなかったのは……古泉からして貰いたかったからです」
潤んだ目尻を朱色に染めて森は古泉の両腕に手を添える。
「ずっと思っていたの。世界が終るのと、神様が力を失って平穏な世界が訪れるの…どちらもあなたに会えないのなら同じことだって。上に知れたら怒られてしまいますね」
「大丈夫ですよ。告げ口なんてしません…僕だって同じ気持ちですから。でも、」
森の肩を掴むように腕に力をこめて言う。
「もしこの世界が続くならば、どうか、最初からやり直すチャンスを下さい」
古泉は言葉尻こそ震わせていたが、疑問形で無いことが譲れない意志の表れを感じさせた。
「もちろんです」
短く返した森は背伸びして古泉の肩に腕を乗せる。古泉は僅かに屈んで森の顎に指先を添える。今度はしっかりと目を閉じ、唇の上へ。
初めて交わす口付けは、まるで2人だけの世界になったかのような錯覚に陥るほど、衝撃的だった。
「はぁ…」
唇を離した2人の吐息が重なる。互いの身体に腕を回して抱き締め合う。古泉は自身の胸元に濡れた感触をおぼえた。
「っく…ごめ…わたし、嬉しいのにどうして……」
「気にしないで下さい…今まで僕ばかり泣いて、あなたを困らせていましたから…」
森の泣き顔を初めて見た古泉は、申し訳無さそうに伏せる彼女の顔を両手で包み固定してうっとりとこう言った。
「綺麗ですよ、森さん」
「あっ、あなたには負けるわよっ。ずっと思っていたけれど古泉って無駄に美人顔」
「美人は嬉しくないですね…まあ褒めて下さってるわけじゃないのでしょうが」
「……。かっこいい…かな…」
目を逸らして頬を赤らめる森は自分よりも幼く見えて、たまらなくなった古泉は再び彼女を抱き締めた。
背中を撫で続けていると森は泣き止み、心地良さそうに古泉の胸に顔を埋めていた。
「ひゃっ」
古泉の腕が背から腰へと下り、スカートの上から手の平を滑らせた。もう片方の腕は背から肩に回されてがっしり固定されている。森はいつもの習慣で下着を着けていなかったので、上半身は薄いシャツ1枚のみが古泉の身体と隔てていた。彼らがこれまで行ってきた行為からすると今更意識することでは無いはずだが、森は思わず声を上げてしまう。
「んん…」
背中に回された腕を解いたと思えば、僅かに空いた身体の隙間に手をさし入れられる。すると古泉は森の形の良い胸が浮き上がるシャツの上から、五指を拡げて揉み始めた。
「っ!」
「森さん……」
直に触れさせたこともあったのだが、今のように古泉から求めてくるのは初めてだった。古泉は柔らかな感触に酔いしれながら指を動がし続けた。
「ゃ、やだっ」
森が古泉の動作を拒否したのも初めてのことだった。はっと我に返った古泉は「すみません」と大きく身を離して自分の手を見つめていた。世界滅亡の淵に立ち呼び覚まされた、男性としての本能が無意識に彼を動かしたのかもしれない。
「そうね、普通の男女はこうなのね。びっくりしちゃっただけです」
森は高まる鼓動を抑えるように、触れられた場所に手を置いて言った。離れてしまうと寂しく感じた森は、直立する古泉の元へ駆け寄る。
「古泉ー」
森の歩幅であと1歩、という距離だった。
瞬間、街灯がカチカチ点滅し、あまりの眩しさに2人とも目を伏せた。
先に瞼を開けた森は、立ち止まって言葉を続ける。
「いいですよ」
行為の続行を促した森だが、ゆっくりと目を開けた古泉のぼんやりとした様子に、怪訝そうに首を傾ける。
「いえ、その」
「なに?」
街灯に照らされた古泉は、その明かりよりも晴れやかな表情でこう言った。
「最初からやり直すと言った手前、それは出来かねますね」
「……え?」
はははっ、と突如軽快に笑いだした古泉に、森は眉をひそめて言う。
「わたし達にはもう時間が無いじゃない……。…えっ?古泉?まさか、」
「そのまさかです」
2人は至近距離で目を合わせる。
「世界は続くのです、森さん。確かに分かります…彼らはこちらの世界に帰ってきました。神様と少年は2人きりの世界の中で、自らの想いに向き合って進むべき道を選び取った。先程の僕らのようにね」
能力者特有の感覚は説明できるものでは無かったが、古泉の確信に満ち溢れた笑顔に森の口元にも笑みが宿る。互いに半歩乗り出して、街上の影は1つに合わさった。
「でも、わたしは…いいわよ」
森は古泉の背に腕を這わせて吐息混じりに誘った。
「いえ、ですから、先程も申した通りに、」
「なによ。じれったい…」
「〜っ」
古泉は頬を紅潮させ、必要以上に大きなトーンでこう言った。
「コンドームを持ち合わせておりませんので!」
顔全体を朱に染めた古泉を森は、きょとんとした表情で見つめる。
「ふっふっふ」
「笑わないで下さいっ」
「何かと思ったら…ゴムくらい何時如何なる時も持ち歩いてなさい。それが男の嗜みよ!」
「えっ、そうなんですか」
心底可笑しそうに笑う森と、情けなさそうに眉尻を下げる古泉。さっきまでの甘いムードはどこにやら、
「やっぱり森さんは大人だ……僕は何と言いますか、色々と自信がありません」
肩を落としてぼそぼそ呟く古泉を、森はバンバンと叩く。
「もう、しょんぼりしない!世界はこれからも続くんだもの。わたし達だってそうなのでしょう?」
「……ええ。僕には世界を存続させる理由があります」
「うん。古泉には世界を存続させる力があるわ」
決意の視線と信頼の視線が交差する。そして小さく頷いてから、穏やかに微笑み合った。
「ところで1つ気になっていたのだけれど。最初からやり直すって…一体どこからすればいいのかしら」
「そう、ですね」
古泉が一旦身を翻して、街灯の光を仰ぐ。深呼吸を繰り返し、森が不思議に思って声を掛けようとした頃合いに向き直って、最上の笑顔で言った。
「僕は森さんが好きです」
おわりです。きっと普通のデートなどを重ねていくのでしょう、というわけで彼らにとっては、これからだ。「憂鬱」の最後の、キョンとハルヒのキスシーンとか意識しておりました。この時間軸の機関の人達が何を思って過ごしていたのか妄想しだすと止まりません。お読み頂きありがとうございました。
2008/3/4